ノスタルジック

 一面に広がる田園風景。走り出した蒸気機関車は山あいを走り、橋を渡り、少年時代に通った駄菓子屋へと導く。もう季節は夏。セミの声は耳をつんざき、汗をかきながら、僕はカブトムシ取りに没頭していく。そして吉田拓郎は歌う「麦わら帽子はもう消えた 田んぼの蛙はもう消えた それでも待ってる 夏休み」。
 懐かしさを感じさせる文章で始めましたが、なぜ日本人はこのような風景に懐かしみを感じるんでしょう?正直、生で蒸気機関車は見たことないし、いわゆる田舎がない(僕の祖父母の家はともに東京の下町)僕にとって田園風景は思い出とリンクしないはずなのになぜかそこに懐かしみを覚える。なぜだか、不思議ですなあ人間って。
 また懐メロ番組はいつまで経っても同じメンバーだし、20代の僕が懐かしいって思っちゃう。ある種、60年代~70年代の風景をノスタルジーと感じさせるようにDNAには刻み込まれてるような気がしてならない。僕らにとっては「歴史」であって、決して「思い出」ではないはずなのにね。そんな人間の面白い感情を思いながらパソコンを打つ午後12時、外は蝉しぐれ