うっとうしい文章2

「無駄というものはこの世に存在しない。あるのはただ在り続ける羅針盤と漠然と拡がる憔悴だけだ」

(「ムダテツクズヒトリアソビ」著:kitschhitorigakudan 訳:独立人一 発行元:低俗出版社)

 我々の前に広がる無駄の連鎖反応。ある事柄に対してそう思慮すること、それそのものは日常でごくごく目にする光景だ。
 例えば目的に沿ってある場所に向かうとする。しかし、すでにそれが存在しなかったら?ぞっとする光景ではある。しかし現実ではたびたび見受けられる事象だ。それを無駄とするか、はたまた貴重な経験として有益とするか、それは各人の思考の元に判別されると言えるのではないだろうか。
 つまり「無駄という思考」そのものがもうすでに「無駄の始まり」であり、「有益という思考」そのものがもうすでに「有益の始まり」なのである。
 選択は既に始まっている。失われた世代-Lost Generation-である我々は流動するこの超情報管理社会の歯車として、無駄を有益にと変える戦争を始めるべきなのではないだろうか?
 ~私的全体的戦争、それに気付き、サバイブできるか各人の健闘を祈る~


まあ結局、用事があった先で実は中止になっていたと言う情報を初めて知り、その情報自体もちゃんと確認とっていなかったわけで、ちゃんと情報は取ろうね、しかし行っちゃったものはしょうがないから町をぶらぶらして、「来たかったんだよ、この町に。」と自らに暗示をかけましたという事に共感して欲しい文章でした。